日本の古銭の始まりは和同開珎が作られてからと言われています。708年の正月に武蔵国秩父郡から多量の自然銅が産出され
た事をきっかけに朝廷に献上され、その事が契機になり慶雲5年を和同元年に改元しました。
そして同年2月に催鋳銭司、現在でいう造幣局が鋳銭事業を開始し、その年の五月に銀銭、8月に銅銭を鋳造しました。
この銀銭、銅銭の事を日本で最初に作られた和同開珎という硬貨です。
この和同開珎ですが、わどうかいちんとわどうかいほうかと言う事で度々議論になっていますがカイチン説、カイホウ説共に
頷ける部分が多々あり現在でもどちらが正解かと言う事はわかっていません。現在はカイチンと呼ぶ事が多いですがカイホウと
呼んでも間違いではありません。
その後、大判、小判が出てくる事になりますが、初めて作られたのが室町時代の末期です。当初は儀礼用として作られており
判金・板金・蛭藻金などの金貨が大判のはじまりです。そして、大判として形を整えるに至ったのは天正16年で豊臣秀吉が後藤祐乗
に命じ鋳造の「天正大判」が作られました。
大型金貨は十両と言う単位がついており、これは重さが150グラム以上あり、当時の価値は大型金貨一枚で米40石、現在の価値に直して
米約40年分の価値になります。
その後楮幣や丁銀と豆板銀等の古銭が作られ、明和2年に目方をはからないで済む長方形の貨幣が
発行されました。明和9年には幕府が目方によらない定位貨幣の南鐐二朱銀を鋳造しました。この
貨幣は純銀せいでした。1824年の文政7年にはやや小型の文政南鐐二朱銀が発行され、続く12年には文政一朱銀が発行されました。
天保8年には天保一分銀が発行されました。これは一分金と同等の価値として通用する事になります。


